Midjourneyの登場で、絵師は終了とかカメラが登場して印象派が出てきたとか、そういう話がちらほらと。あまり詳しくないので、ちょっとだけ調べてみたら、初期のカメラ、つまりピンホールレンズの写像を紙に定着させる以前に、ピンホールレンズの映像をなぞって絵をかく手法は広く使われていたらしい。カメラ・オブスクラ。フェルメールも使っていたとか。
https://art-whitecanvas.com/vermeer-technique/
他にも、写真の登場で動きの瞬間を捉えることができるようになって、より躍動感のある絵が登場したり、さらに面白いのがある意味ミスショットである「フレームから見切れた被写体」が逆にスピード感の演出として使われたりと、カメラの「エラー」さえもフィードバックされているところ。
これはビデオとゲーム、CGなどでもあった現象で、例えば光を表現するレンズフレア、暗闇の光を表現する光の残像(アキラのアレ)、スピード表現のモーションブラーなどがそれだ。一時期流行ったHDR(というかトーンマッピング)写真は、1つ1つがダイナミックレンジいっぱいに描かれたテクスチャーを寄せ集めたシェーディングの無いゲーム映像を写真にフィードバックしたものだろう。このようにエラーが相互に影響し合うのが、また楽しい。
他にも古い映像表現を白黒やトラッキンががブレるフレーム、フィルムのスクラッチノイズや、実際よりやや再生スピードの速い映像、コントラストが低く色相がずれた色合い表現、ティルトシフトなど。これらはメディアのエラーがそれを体験した人の記憶と結びついて特定の感情をゆさぶる表現になったわけだ。(なので100年後は消えるか、フォーマットとしてしか残るものの感情を動かす事はできなくなるだろう)
もちろん絵画だけでなく、音楽でも同様のことがある。
ここから想像するに、現在のAI絵画の様々なエラーが、何年かしたのち、たんなるエラーとしてではなく、特定の感情をゆさぶる表現として用いられる可能性は高いと思う。また、チェスがそうであったように、将棋や囲碁がそうなるであろうように、AIと達人との共存関係はすぐに実現するだろう。「人間はAIには決して出来ないものがある」、ではなく、AIを前提とした新しい表現が生まれるだろう。
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